現在に流れる今の時を
人は何らかの感情や感覚でカテゴリーを付け
記憶という形で保存している。
無機質な言い方でいえば、PC内でドキュメントなどをファイリングしているのと同じだ。
そして人それぞれその記憶の題名やその中身のキーワードなどは、同じ時間を共有していたとしても
異なるんだと思う。
すでに、この文章の冒頭で『現在に流れる今の時を』と表現したけれど
ある方の『今』は目の前に絵画のように在るのかもしれないし
またある方の『今』は立体的に自分を中心に広がりを持って音楽や香りなどの感覚と共に躍動的かもしれない
それを、感じたままに引出にしまい、そして何かのきっかけでまた引き出すのだ。
大体の人が、視覚か聴覚またはその他の感覚の3つのどれかが他より長けているそうだ。
場所や人の特徴や対象物の色身など視覚から事柄を思い出す事
あるいは、読んだり聞いたりした言葉、耳に残る音楽に聞こえてくる音から引出してくる事
または、鼻につく匂いや親しんだ味、他の身体感覚の圧力や特徴で深いところにしまいこんだ事が発掘される事も
どの感覚が長けている人でも経験は一通りあるのではないでしょうか?
よくモノを覚えている人は、多くの情報を自分の感覚・感情で捉え、物語のようにあったことをリンクしたりすることを日常的にしているそうです。
学習の暗記術とは異なるかと思いますが、幼少や一昔前のことなど全く覚えていないという方がいたら
ご自分の『今』の感じ方を再確認して、わーっと感動して『今』を感じ、その事柄に人に話せるような物語を持たせ果てにはタイトルなど付けてしまっては如何でしょうか?
日記を書くのも良いですが、これが出来たら落語家になっちゃいそうですね(笑)